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出会い




出会いというのは
そこで終わってしまうものと、その先々まで自然につながっているものと、努力してつなげていくものと
三種類あると思う。

私の初個展は、大学三年生の冬に開催した。
私は三年間版画を学んでいたが、
卒業制作を何で製作するか。という大事な時に、
「絵画」でやりたいと思うようになっていた。
流れから言うと、今までやってきた「銅版画」が妥当ではあった。
でも、在学中に影響された画家、大竹伸朗やイギリスのラッセルミルズのような絵画を製作したくて
版画での卒業制作は考えられなくなっていた。
当時、説得をしてくださった版画の先生には、本当に申し訳なかったが
自分のやりたいことを我慢するくらい、私は大人ではなかった。

四年に上がる前、
自分がどれだけ「絵画」でやっていけるかを証明したくて
個展を決意。

五橋のビルの地下一階にあるギャラリーで決行したのだ。
その時の芳名帳が残っている。

懐かしい名前だった。
その時、仲良くしていた人、全く知らない人、後輩、先生。
私はあまり多くを語らず、来てもらえる人に来てもらえばいい。
と、思っていたのでチラシも適当にまいていた。
要は、自分はこれだけ描けたんだ。という自信がほしかっただけだったから。
目的が、今とは全く違う物だった。

懐かしい名前。
その後有名になった画家。
キュレターになった人。
絵本作家になった人。
初めて会った人。それっきりの人。
何十年後かに再会した人。
その当時、私の髪を切ってくれていた人。
バイト先の人。
交通事故でなくなってしまった人。

この芳名帳を見ていたら、
繋がっている人が多いことに気づいた。
または、これからまた繋がろうと思っていた人も名前を残してくれていた。
残念なことに、
亡くなっている方が三人。
はかないものを愛おしむ感情がこみ上げる。

なんだろう。
この感覚は。

大人になってからの出会いは、
しょっちゅう会うわけではないけど、お互いを必要としたとき、時間をつくって繋げていく努力をしないと
続かないとすごく感じる。

若い頃は、流れるように人と接して、繋がっていく人とは繋がっていくという感じだった。

でも、その流れの中に
はっ、と思うような出会いもあって、
その人たちとは、無意識の中で「会えるように」準備を整えていたのだと思うけど
やはり、ずっと後になって繋がることがほとんどだ。

全くその時はお互いの存在すら知らなかったのに、
偶然一緒に仕事をすることになり、
親しくなってから、あのとき同じ場所にいた。という事実を知った出会いもあった。

亡くなってしまった人が残してくださったメッセージを見ていると、
ほとんど話したことのなかったその同級生の面影が
その当時よりリアルに感じたり、
今、私が生きていることが奇跡に思えたりする。

芳名帳に名前を残してくださった方。
また、いつかどこかでお会いできるご縁でありますように。
by kai-takasaki | 2009-06-10 14:13 | 制作