カテゴリ:心の深いところで感じること( 34 )

今まで色々な仕事や活動をしてきました。
すごく勉強になったと思います。
毎日の食事で色々なものを食べて
今の肉体や細胞が出来たと同じように
それは、私の価値観や正しいことを正しいと言える
自信になったと思っています。

その中で出会った人も
とても素敵な人ばかりで
たくさんの事を教えていただきました。
普段の何気ない言葉のひとつから
具体的な仕事の進め方、
数え切れない財産をいただきました。

ただ、最近私は今の仕事を辞めようと考えています。

出会った人の縁や、今関わっている人達のこと
もしかしてやり残しているかもしれないことなんかもあるかもしれない。
そう思うと、責任やら色々と考えてしまうのですが
そろそろ結論をきちんと出さなければと思うのです。

自分が小さい頃から抱いてきた夢について、考えました。
それは単なる「夢」とか「理想」だったのかもしれないけど
どうも私は、その夢に向かっているような気がするのです。

世間様から見たら
現実的ではないと笑われるかもしれませんが
社会人としてお給料をもらうようになってから
ずっとずっと、「違和感」と闘ってきたように思います。
心のどこかで「私はまだ幼いから、未熟だから社会が解っていない」と
言い聞かせて、我慢して、頑張ってきましたが
40歳を目の前にして思うのは

「・・・歳を重ねても、色々な経験をしても違うものは違う」

ということです。
なので、今抱えているでかい仕事を二つ終わらせたら・・・

うん。

辞めようと思う。

そのためには、今の仕事を美しく丁寧に終わらせたい。
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主人がアキレス腱断裂の大けがをしてから三週間。
最初は落ち込んでいた彼だけど
もう、じたばたしたって仕方ないと心に入ったようで
今は自宅での生活を受け入れたようです。

私は毎日仕事なので
主人のお弁当を作って出かけます。

最近、そのお弁当が二つになりました。
実は次女を見てもらっています。
言い出したのは主人の方でした。

「俺がきーちゃんを見てるよ」

最初はびっくりしたけど
きーちゃんも「パパといる!」
というので、保育所をキャンセル。
二人だけの日常が始まって三日になります。

・・・上手くいってるみたいです。

きーちゃんが、成長したというのもありますが
主人がゆったりしているから
その気持ちが伝わるのか
次女も安心なのでしょう、
のんびり、過ごしているようです。

主人も一人よりは
次女の気配があるほうが寂しくないのかもしれません。

考えてみれば
男の人がこうして、
自分の子供とじっくり過ごす時間って貴重かもしれません。
男の人が自由な時間を手に入れたときには
もう子供は半分大人になっています。

女の人と違って
きっと考えてきたことも
抱えていた問題も、不安も
全く違っているでしょうから
たった3ヶ月とはいえ
こうした日常は、むしろ楽しまなければ!!

子供達も、父親が常にいる毎日がとても気に入っている様子。

多分・・・ずっと後になって
このいつもと違う日々を振り返ったとき
何かかけがえのない事に
気づくような、そんな予感がします。

今はまったく解らないけど

次女が遊ぶ「気配」というのは
主人の五感に刻み込まれ
大切な感覚として残るような気がします。

とても繊細な、幸せの匂いが含んだ日々を
大切に丁寧に過ごして欲しいと願っています。
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私は、なるべく午前中に大事な事を終わらせ
その後、家に帰ってきてできる事は家でやります。
今はメールでやりとりも出来るし
集中したいときは、朝みんなが寝ているときに仕上げるときも。

そうでないと・・・。
家のことができなくなってしまうからね。
だから、私は自分のペースを崩さない。
ペースというか、リズムかな。

もの凄く忙しいときだって
私は家の中を汚さない自信があります。

毎日、淡々とやらなくてはやらないことは
どんなに忙しくたって「やる」と決めています。
次の日に洗い物や洗濯物が溜まっているほうが
絶対に嫌!!

そんなときの方が
感覚が研ぎ澄まされて
色々な事を思い出すののです。
懐かしい匂い、風、音とともに
とても大切なことを思い出すときがあります。

その瞬間、

「生きている」感動に包まれます。
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被災地、石巻から自宅に1本の電話がありました。

「石けんを広げたい。学習会をして頂けませんか?」

石巻のある避難所で、その方はボランティアをしていると言います。
多くの方が仮設住宅に住む一方、ここではまだ120名程の方が避難所生活を強いられているそうです。

今までの生活の全てを、津波によって乱暴に奪われてしまい
家や仕事、財産、そして愛する家族までも無くしてしまった人達。
仮設に入っても、収入が無く
自分の足で立つことができないそう。

料理すらできない。

そんな避難所の人達に
自立支援が始まっているそうです。

まずは生きる基本である「食べる」ということ。
そこで、調味料セットを奥様達にプレゼントするという粋な企画を考えている人達がいて
その中に「石けん」を入れたいというのです。

「・・・じつは、被災地は昔ながらの風習で、『家』を守るのは長男、長女と決まっています。
それを若い人達は『しがらみ』と言っていやがる人がたくさんいました。・・・でも、今回の津波で
そんなしがらみから解放され、ここをはなれる人が多くいることも事実です。
だって、実際そうです。漁業、農業はできない。原発で子供の体も蝕まれるでは、暮らしてはいけません。
・・・でも・・・。いつかこの街が復興して、一度離れた人がここに戻ってきたときに、
あぁ・・・いい街になったなぁって、もう一度ここで頑張ろうって思う場所にしたいんです。
そのためには、今までと同じではだめな事も出てきます。
・・・化学物質です。これはいらない・・・。
そのために、タカサキさん。石けんを広げたいんです。お願いしてもいいですか」

勿論、私は二つ返事で了解しました。

震災後、現地でボランティア活動を続け、テント生活をしながら
地域の復興のために働いている方がたくさんいるといいます。
その中の一人に、会いにいくことにしました。
その方と話をして、どんなことができるか
計画を立てるためです。
被災地の人は今、仕事はないけど
自分のスキルアップのための勉強をしたい。という方が多いそうです。
そのための「石けん学習会」です。
現地でのコーディネートは、土地勘のある現地の人にお願いして
私は企画を考えることに。

ただ・・・。

温度差がつきまとうのです。
都会の人達が歌を唱ったり、署名したり、自分たちのできることを、というような行動は
現地の人達から観ると・・・ズレがあるときがあるのです。
自分の気持ちだけが空回りしないように
まず、現地に行って、話をして、私を知ってもらって
どんな街にしたいか、どんな夢があるのか・・・
そこが少しでも見えるまで、乱暴に企画だけを持って行くようなことはしたくないと、伝えました。

電話を下さった女性の方は
「私もそう思います」
そう、言って下さいました。

長期的に、何年も続けられるような活動をしたい。
何年かかるかわからないけど
私は、多くの人達に「石けん」の良さが伝わるように
何度でも、何度でも
石巻に通いたいと思っています。

そして、彼女が言うように
帰ってきた人達が、「あぁ、ここに生まれて良かった」と
そう感じてもらえるような街に

しようではありませんか!

そんな復興でなければ「意味がない」と彼女は言います。
そんな美しい、新しく生まれ変わった石巻をイメージしながら
市民とともに、新しい街作りをしていきたいと思っています。
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車検がきっかけで、廃車にすることにした私の軽自動車。
仙台市なら、車がなくても、公共交通機関で移動できますが
引っ越した先、富谷では・・・

きついっ!!

自分一人ならまだしも・・・
小さい子を連れて、地下鉄・バス乗り継ぎは・・・

きつかった!!

・・・ということで、中古車をゲットしました。

思ったら吉日の主人は
大きな決断の時の行動が速い。
「今日決める」というときは
その影で、私はせっせと下準備・・・。
必要書類を全て揃え、役所に行ったり、保険会社に電話したり・・・
予定より早く帰ってきて「すぐ行くぞ」と言われても二つ返事できるように
主人を仕事に送り出した後は

ばたばたばたばた・・・・・・・・・・・・・・・と私は動き始めます。

そして、スムーズに決まりました。
引っ越しの時もそうでした。
まさに、こんな感じでした。
素晴らしい連携プレイです。全国一位です。
・・・っていうか、主人の「オレ様」加減が日本一なので(笑)
下っ端は、着いていくしかないのです。

そんな感じのタカサキ家ですが・・・

我が家の重大な決断を要する出来事、というのは
いつもその年の前半で終わります。
とにかく、夏の間まで家族全員が忙しい。
秋から冬にかけては、トーンダウン。
二月から春先までは、家の中に籠もっているイメージです。

これは結婚当初から変わりません。

多分、我が家のリズムなのでしょう。
動物的ですよね・・・。

私は11月で40歳になります。
この40歳を、私は良きスタートにすると決めていました。
二度目の成人式です。
やっと、自分の足で歩けるような気がします。

やりたい事があっても、なぜか色々な仕事を頼まれ
メインにたどり着かなかったこの一年。
そして大震災で気がついた、これからの人生の事。
人生は長いようで短いと感じます。
その中でやれることって、少ない。
だから、私はいい意味でわがままになり
自分を解放したいと思っています。

リズム。

それは人それぞれです。
私のリズムは、人に合わせられない。
自分のリズムを感じて、
心が解放できる方向へ進みたいと思っています。
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長女が眠れなくて困っています。

毎日毎日・・・

眠れなくて泣きます。

寝るのが怖い。と言います。

地震のトラウマが

今頃になって、幼い女の子の心をむしばんでいます。

最近、余震がまた多くて

そのたびに

あの日の記憶が蘇ります。
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娘の通っている富谷小学校の春の運動会が開催されます。

今朝、「やりますよ」の合図である花火が
勢いよく鳴りました。

娘は転校してから初めての行事に
胸を躍らせ、少し緊張しています。

なぜなら・・・

クラスの代表で
リレーの選手に選ばれたからです。

クラスの女子の中で一番速かったので選ばれました。
もうひとり、転校してすぐ仲良しになった
まいちゃんも選手です。

2組に、この二人より速い女の子がいるそうで
娘とまいちゃんは「秘密の特訓」をしていました。

先週、久しぶりにサッカーで汗を流したところ
ひどい筋肉痛になり大変な思いをしていましたが
昨日の夜練習にも参加し
体はむしろ回復したと言っています。

小さい頃は、そんなに足は速くなかったのだけど
サッカーを始めてからは、走り格好も良くなり、自分の娘?と疑うくらい
速くなっていました。

今朝、朝食を食べていたら
ぐらぐらしていた「歯」も抜けて
すっきりした状態で登校しました。

実家の母も来てくれるそうです。
「何もいらないよ」と言ったのに
タケノコご飯を作って持っていく!とメールあり。

全く・・・。
母の料理でのおもてなしは
今始まった事ではありません。
お祝いの日には、かならず「おふかし」を炊いてくれる。
私の田舎の、素敵な風習なのです。

本当に感謝しきれません!

雨がどうか持ちますように・・・!!
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そういえば・・・
こうして記憶も無くなるくらい朦朧となって寝込んだのは・・・
7年ぶりだと思います。
長女が二歳半くらいの時かな。
やっぱり静岡に行ってから、風邪をこじらせてしまい
滞在中の一週間、寝たきり・・・という時がありました。

あれから、随分たちます。

いやぁー・・・しんどかった。
今までの疲れや不安、怒りが
すぅっ・・・と抜けていくようでした。

体がしんどいときに
何かを考えてもダメ。
体が良くなると、考え方も建設的になるものです。

さて、まっ白だった手帳に
予定がどんどん入っています。
新しい仕事が、何ヶ月か遅れて動き出しています。
東北は、3.11から時間が止まってしまったかのよう。
やっと、私も動けそうな気持ちになってきました。
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4月16日にお引っ越しをしてから10日がたちました。
昨日インターネットが繋がり、全ての環境が整ったところです。
こちらにきてからもなお、必要ない物が出たり、買い換えた物も沢山あり
そんな日常を送っていると、暮らすって楽しいな。と感じました。

長女はたくましいです。

初登校の日からいたって「普通」。
友達をつくり、グループの班長になり、放課後は公園でサッカーをしていました。
正直、子供のことは心配していませんでした。
親が不安だと不安になるものです。
私はこの引っ越しが楽しみだったし、実際わくわくしていましたから
子供だってわくわくのはずなのです。

アパートは珍しい間取りで
部屋に階段があり、上に部屋がついています。
一軒家でいうところの二階部分が
子ども達の新しい部屋になりました。

大喜びです!

ここ冨谷には、小さな商店街があります。
駄菓子や文房具を扱っているお店、ここはかわいらしいおばあちゃんがいます。
もともと煙草やさんみたいです。国産煙草がない中
どっさりとストックがあり、主人は大喜びでした。

小さな魚屋さん、肉屋さん
300年以上前から続く酒屋さん
カウンターだけのお寿司屋さん
骨董やさんがありました。
長女の運動着を買った呉服屋さんの奥様は
なんと私の母の同級生。
なんとなく町並みも、私の故郷の岩出山に似ています。

この一週間の間は
静かで淡々とした日常がありました。
朝起きてお茶をゆっくり頂き、朝食を食べ
洗濯をして掃除をする。
買い物に行ったり、姉が同じ町内なので遊びにも行きました。
主人の職場も自宅から近くなったので
夕食も一緒に食べられます。
洗濯物をたたみ、もとの場所へ仕舞い
夕食の後片付けを済まして、子供とお風呂に入る。

「お休みなさい」

そんな毎日でした。
仕事は自宅でできるものだけやっています。

ゆっくりと。

そんな言葉がぴったりくる日々でした。

震災の事は常に頭にあります。
放射能の影響で、洗濯物を外に干せなかったり
窓を開けられない日もありますが
この現実をやっと受け止められるようになりました。
これから何十年も続くことですから
うまく付き合っていくしかありません。

こんな穏やかな日々の中で
起こってしまった地震被害です。
いつ、どんな時に起こるか解らないことにおびえるのは
もう止めようと思えるまで、心は回復しています。
それより、日々のやるべき事を
ひとつひとつ、丁寧にこなして
やはり淡々と生きていきたいのです。

話はかわります。

私には「夢」があるのですが・・・

しかし、どうもその「夢」のあり方、自分がどうなりたいかというのが
本質的には変わらないのですが、この震災で
どう「叶えるか」という過程が明確になったように感じています。
そのことを試されるような出来事が、引っ越しの最中にあり
選択を迫られました。

私の出した答えが正しいのかは解りません。

ただ、断った後に
「ほっとした」というのが
全ての答えだったと信じています。

直感を信じたいと思います。

めまぐるしく変わっているように感じた日々。
それは見慣れない風景や、人々との出会いがそうさせる錯覚で、
本質は何も変わっていないと感じます。
「暮らす」とは「生きる」とは
そういうことだと、思っています。







日々淡々。
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昨日、県内でお米を作っている
「迫ナチュラルファーム」の若い生産者さんとお話しをしました。

無農薬でお米や野菜を育てている人達です。

無農薬で作る。
それは消費者にとっては願ってもいないことです。
添加物の少ない物、自然に近い安全な食べ物を食べたい。
そうは言うけれど、
生産者にとっては簡単な事ではありません。

周りの農家さん達は
農協から「これを使って下さい」と言われた農薬を使いますが
それを「いいもの」と思って信頼して使っています。
農協から渡された物だし、国で認められているので
そう思うのは当たり前です。
虫のついた商品を出荷すれば
価値だって下がります。
「強い物に巻かれる」そんな状態です。

無農薬で作っているナチュラルファームの試行錯誤を
周りの農家の人達は
「何をやろうとしているんだ?」
「お前達が農薬を使わないから俺たちの田んぼにもカメムシがきたでねぇか!」
と言われたこともあったそうです。

その土地に住んで
そこで生きていくのに
周りと歩調が合わない。
でも、自分たちは「無農薬栽培」を楽しみにしていてくれる消費者がいる。
その一心で作っているそうです。

若き生産者はとても明るく、希望に満ちた目でこう話して下さいました。

「代々、良い土を残して下さったご先祖様がいるから、自分たちもできるのです」
土が元気でなければ
無農薬に切り替えても、土がよみがえるのに時間がかかる、とも。

私は昨年から、農薬の事を中心に環境問題を取材して記事にしてきました。
「農薬を使うな」というのは簡単ですが
その裏には、温暖化の影響や国が定めた一個人ではどうにもできない問題が山積みです。
そんな中で、先祖が残して下さった「土」に感謝して
誇りを持って「本当の食べ物」を作っている方達が確かにいるのです。

「この人達が作った物だから食べたい」

私はそう思いました。
無農薬とか、栄養価とか
そういうことが先ではなく
「この人」の愛情と手間暇を優先したいと。

「モノ」を作っているのは人であり
次世代に誇りと自信を持って受け継いでもらえるものだけが
これからは残っていくのではないかと感じます。

昨日、話を聞いていたとき
私も含め、あまりにも理不尽な世の中に思わず泣いてしまった。
生産者さんはびっくりして
「そんな泣くことじゃないですよ。自分たちはそういうモノ作りをしていきたいだけです」
とそれはそれは吸い込まれるような瞳で
私にそうおっしゃいました。
「田んぼには沢山の生物がいるんです。あー、俺んちの田んぼにはこんなに集まってくれている」
そう思うと嬉しいし、楽しいとも。

生物多様性、環境破壊、水質汚染・・・。

難しいよね。
でも、難しくしているのは
自分自身だと感じます。
答えは実にシンプルで簡単なのです。

私は今年も環境問題に取り組みます。
少し深掘りして
本物のモノ作りをしている人達の
物語を書いていきたいと思っています。








日々淡々。
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