カテゴリ:心の深いところで感じること( 34 )




仙台は、本日平年よりも2℃も高い気温です。
温かくなってきました。
気分も外へ外へと自然に向かいます。

春ですね!

小さい頃
テレビで入学式の場面と一緒に
美しい「桜」が舞い散っている映像を観たとき
「なぜ桜が咲いているんだろう」
と不思議でした。

宮城県の桜は五月頃だったからです。
新学期を迎え
クラスにようやく慣れた
春の運動会の頃
やっと、桜が満開でした。

その桜の木の下で
お母さんが重箱に詰めた
おいなりさんや巻き寿司を食べた記憶が浮かびます。

温暖化の影響か
東北の桜は
関東と変わらない時期に
咲き始めています。

それでも
私にとっての桜は
五月の頃。

運動会
田植え
お姉ちゃんと遊びに行った城山公園
子供会のプチ旅行
修学旅行
中総体
高校総体
ゴールデンウィークの宿題
キャンプ・・・

歳を重ねていくと
思い出も
その時過ごした人も
感じた事も違うけど
「春」はいつも必ずやってきて
確実に私達の記憶に刻み込まれます。

自分の成長や変化に気がつけるのは
変わらずやってくる
「春」があるからだと思う。

私はそんな日々の
当たり前に繰り返す季節の変化に
感謝して、
生かせていただいて、
最期の時も
同じ事を思っていたい。








日々淡々。
[PR]
遠西のおばちゃんが亡くなってしまった。
母のお兄さんの奥さん。
気立てが良くて、明るくて、とびっきり優しかった。
小さい頃、ちょっと預けられた時があったんだけど
その時一緒に「りかちゃん」ごっこをしてくれた。
農家だったから、朝早くから田んぼの仕事があり
お昼寝の時間は貴重なのに
私が寂しい思いをしないよう
りかちゃんを一生懸命動かしてくれた。

すごーく、優しい人だった。

私が具合悪くなって
りかちゃんの上に吐いちゃった時も
りかちゃんの着ていた緑色のワンピースをきれいに洗ってくれた。
家族の洗濯物と一緒に
小さいワンピースを干してくれてさ、

「かわいいね」

なーんて、ヒラヒラと風になびく緑色のワンピースを
二人で見たよね。

従兄弟がみんな
年が離れて大きかったから
必然的に私は中に入れなかった。
遊びに加われないとき
必ずおばちゃんが私と遊んでくれて
嬉しかったな。

亡くなる前
「温泉に行きたい」「寒い、寒い」
って頻繁に言うから
おじちゃんは何回か温泉に連れて行ったという。
その温泉で息を引き取ったらしい。

手足は冷たくなったけど
温泉に入ったせいか
顔と体はいつまでもぽかぽかしていたみたい。

私とおばちゃんの思い出は
古い家の時の事ばかり。
今は息子さんが建て直して立派になっている。
でも、わたしが思い出すことといったら
昔の造りの、土間があって、牛舎がある時の記憶ばかり。
裏にはグミの木もあった。

あー、なんか
「一人でなんて育ってないな」って思う。
おばちゃんにも
私が私であるための
ひとかけらの要素を頂いたんだなって。

「優しい人でありたい」

という気持ちは
おばちゃんに優しくされたことを
私が五感で覚えていたからだと思う。
もちろん、そのことだけでなく
色々な日常の出来事の繰り返しの中で
学んだとはおもうんだけどね・・・
その中の小さな小さな出来事ではあるけど
私にとって、私が私でいるための
大きな要素になっている。

特別なんてない。

毎日が特別なんだ。
[PR]





年末、いる物といらない物を整理して
空っぽになったクローゼットを見て気がつく。

残った洋服のカタチが同じ・・・!

トップスは七分丈ばかり。
なんかねー、いつもまくっているのですよ。
だから最初から七分丈でいーじゃん!と気がついてからは七分丈です。

ボトムは裾がワイドに広がった「袴型」のパンツばかり。
レギンスを重ね履きするので必然的にこうなったのです。
あとはマキシ丈のスカートね。
昔から大好きな丈です。
ズルズルと引きずるような感じ・・・!

さて明日からバーゲンらしいね。
今日中に原稿を送り
明日は長女と参戦する計画です。
マキシ丈の巻きスカート狙いといくか。
でもそんなスカート、あるかなぁ・・・。
結局、古着屋かビームスあたりで買っちゃうんだよね。
良い物一点買い主義の私。
なければ絶対買わないのも昔から変わらず。

さて、仕事終わらせよ。
[PR]




昨日、夕方から雨になった。



満月だから
ちょっと、そわそわしていたのだが。



狼女に変身できる親友に連絡をしてみた。
彼女は滋賀県、京都、奈良、三重県、大阪を
移動していた。



「雨のため、伊勢参りを変更した」
「仙台も雨だよ」



なんとなく、雨がありがたかった。
多分、雨でなかったら
メールなんかしなかったような気がして。
[PR]




月が丸くなってくると
心がざわざわしてくる。


朝が待ち遠しい。


陣痛が始まって
一晩中、不安と痛みと期待を味わった
あの日の夜を思い出す。


子供の寝顔を確認して
私も深い眠りに沈んでいきたいのだが


どうも、上手くいかない。
多分、月のせいだと思う。


「ここを抜ければ、何とかなる」


という、
窮地の場で何度も経験した
あの時や、あの日の
感情が鮮明に思い出されて


できれば助けて欲しいような
全てを捨てて
消えて無くなってしまいたくなるような


そんな気持ちになってしまうのは


きっと、月のせい。
[PR]




近頃の夜は澄みきって美しい。
新月からほとんど毎日、見上げれば月を楽しめる毎日だった。
おぼろ月夜もあった。
怪しげな雲に見え隠れする日も。

「罪無くて配所の月が見たい」

徒然草の一節にあった言葉だが
思い当たる気がする。

近頃
過去の事を書き綴る毎日で
気がつけば夜になり

昼間の空を忘れていた。
今日は天気も良いし
風も温かそうだ。

久しぶりに
散歩などしてみようと思う。
[PR]







何をするのもマイペースで
とにかく人より「時間」がかかる私。



自分のキャパシティを越える作業の時はなおさらです。



動いているような気持ちでいましたが
そこに「風」を感じられなかった。
熱だけがこもった、風通しの悪い部屋に閉じこもっているような
そんな日々でした。



秋の訪れと共に
少し「風」を感じられるようになりました。



時間というのは本当に大事です。
一日中、ぶっ通しで文章を書いているわけではありません。
何かを感じたり、気づいたり、ゆっくりお茶を飲んだり
そういう時間があってこその「一瞬」なのです。
その一瞬をキャッチできると
風がさらさらと流れるのです。



原稿が「手書き」主流だったころ
その一文字に入った「気持ち」だとか
「時間」だとかを容易に感じ取れたと聞きます。
急いで書いた文章は、読む側も急いで読んでしまう。
ゆったりと落ち着いて、時間をかけた文章は
読む側も丁寧に読む。



忘れてはいけないと思う。
なんかもの凄い大事なことのような気がします。



日常の過ごし方でしか
基本って築けない。
その積み重ねが、自分の歴史なんだよね。








日々淡々。
[PR]





どんなに忙しくても
自分のためだけに費やす時間は必要。



朝の2時間は
なくてはならないものです。



近頃、太陽の出る時間が遅くなってきました。
暑い、暑いと言っても
季節は確実に秋へ進んでいる。
太陽や月をみると
そう思う。
[PR]






サルモノ、オワズ。
[PR]





長いと思っていた子供達の夏休みも
あと一週間です。(東北は夏休みが短い)

今年の夏は色んなことがあった。

今だから書くけど・・・
主人の心臓の手術。
実家の父の軽い脳梗塞。
私のひどい夏風邪。
その後、右手の小指を負傷(結構深い傷だった)

色んなことがあった。

それでも太陽が出て、月が出て
毎日が繰り返される。
どんな状況でも明日はやってきて、落ち込んでるのがアホらしく感じる。

特別に楽しい時間を作ったとしても
後で「思い出」として残るかといえば、そうでなかったり。
後で思い出すことといったら
五感で感じ取ったことばかり。
そして、なにげなく目に入った物が心に残る。
店先の果物が置いてあった「古い棚」とか「錆びた壁」とか。
記憶というのは私にとってそういうものなのかもしれない。
そしてぼんやりした記憶と自分のでっちあげた物語が動き始めるのだ。

ただ、後でそのことを思い出したときに
「カタチ」として残して行けたらと思うときがある。
普段仕事で書いているコラムや取材記事とは全く別の物で。

色々あった。
それは一人一人、平等に与えられた時間というなかで起こる。
だから人それぞれの「色々」も必ずあるわけで。
そういうことをイメージしてみたりすると
人が生まれてからの歴史を感じて
優しいような、悲しいような
そんな気持ちになってしまう。






日常というのはいいよね。
生きている感じがする。
[PR]