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東日本大震災~仙台若林区から~3/27(日)



今朝、実家の岩出山から嬉しいお届け物が届きました。
実家は「手作りハム・ソーセージ」をつくっています。
仙台では老舗デパートの藤崎で常設させていただいてます。

「お世話になっている方に、差し上げて下さい」

母からのメッセージをうけ
ご近所でいつも仲良くさせていただいているお友達宅へ、
ベーコンの端っこやソーセージをお届けに行きました。

まず、ノンちゃんち。
ノンちゃんのお宅では、着なくなった洋服を無料で提供していました。
若林区の荒浜で被災された方が、次々と近所のアパートやマンションに入られています。
その方の少しでもお役に立とうと急遽、自宅を解放してのご提供のようでした。

次に伺ったのは、emiちゃんち。
旦那様に「支援物資でーす」とお渡ししたところ
立派なねぎをいただきました!
ありがとうございます!
お友達の田んぼ、畑が津波でやられてしまったと聞きました。
仙台の食を支えて下さっている七郷の農家のみなさん。
私たちの食卓から、七郷のお米が無くなってしまう・・・。
少し悲しくなりながら、次のお宅へ向かいました。

向かったのはさとちゃんち。
「かいちゃーん・・・」
と今にも泣きそうな顔をしていましたが、ぐっとお互いこらえ
あの日の出来事を報告しあいました。
彼女も私も仕事先での出来事で
考えたことは子供のこと。(そりゃ~そうだ)
さとちゃんの中二になるお姉ちゃんは、卒業式に参加後、友達宅で遊んでいたらしく
地震後、連絡が取れなくなったそうです。
なんとやっと安否が確認されたのは次の日。
小学校に避難していたそうです・・・。
無事で良かった!
さとちゃんには立派なワカメをいただきました!
あのがとね!

次は、ヒトミちゃんち。
ま・・・マンションの入り口に段差・・・。こわ・・・。
彼女は46年会の仲間です。(46年生まれの女子4人による、お茶のみをする健全な昼間の会)
こちらも元気そうで良かった良かった!
彼女のマンションの上の方に住んでいる方のお部屋では
備え付けのカウンターが崩れ落ちたといいます・・・。
彼女は二階だったので大丈夫・・・。
ごはんのお供に!と鮭フレークとおにぎりに混ぜるワカメとクロワッサンをくれた!
嬉しい!ありがたくいただき「また46で!」と近々会うことを約束しました。

次は大学時代の後輩、kanちゃんちへ。
「やーん、元気?」
と近状報告。彼女のお宅にはひい婆ちゃんもいて、電気が通らなかったときは大変だったとのこと。
旦那さんと交代で、小学校と自宅に日替わりで泊まったそうです。
お嫁さんの鏡である彼女は、しっかり家族を守っていた様子でした。
物資で頂いた「駄菓子セット」を頂きました!
これは、子ども達大喜びだと思うよ。ありがとう!

次は、一番心配していたYちゃんち。
びっくりしたのは瓦がめっちゃ落ちていたこと。
愛車も瓦でやられてしまったと言います。
な・・・なんと玄関が開かない。
台所の入り口からお邪魔しました。
お茶の間の壁、トイレの壁なんかが落ちてしまったらしい。
彼女も46会の仲間。大きなお宅なので
よく場所を提供してくれただけに、私のショックも大きい・・・
でも、彼女の明るいこと!
さっすが、46会のムードメーカー。
「とにかく落ち着いたら必ず会おう」そう約束して次の場所へ。

最後は仕事の同僚、ちかりんち。
お互いの子供が同じサッカー・チームのメンバーで
クラスも同じという縁でも繋がっています。
中二になるお兄ちゃんも顔を出してくれました。
びっくり。めちゃくちゃ「イケメン」になっていた。
「これ、Nちゃんに・・・」
と次男君が娘にと手渡してくれたのは・・・
ホワイトディにわたすはずだった「お返し」でした。
きっと娘は大喜びするよ。
だってちかりんちの次男君は、モテモテですから!

帰ってくると
川崎の友人mikiちゃんから電話!
彼女も46年会メンバーで、引っ越したけど川崎支部で頑張っていただいてます。
彼女の旦那様は、震災後、精神的に一番辛かったとき、川崎から仙台に
救援物資を運んでくれました。たかちゃんと言います。
そのお礼に、やはり実家のハムを送ったのでした。
「子ども達になんとか、この大変さを教えたい」
と言っていました。
「たかちゃんの行動が、一番子ども達に届いていると思うよ」
私はそう伝えました。
子供は「親の背中を見て育つ」
頭でなんか理解させなくたって、もう親の行動を見て感じていると思います。
感謝しています。ありがとう。

友達と会って、
報道では伝えられない辛い現状の事も聞きました。
ここで記していいかの判断ができません。
もう少し、気持ちが落ち着いたら・・・書きたいと思います。
でも、復興に向けて進んでいるのは確かです。

とにかく、今までだったら、ただすれ違っていた人でも
今は「お宅、大丈夫でした?」と
必ず確認するようになりました。
お宅を流された人だと知ったときは
「何か困っていることはないですか?」
と言って、自分の連絡先を教えるのが当たり前になりました。

夕方、大阪に一時非難していたminちゃんから電話がありました。
お子さんだけ置いて、仕事があるから戻ってきたといいます。
「自分の居場所は、やはり仙台しかない」
原発は怖いけど、もどってきたと。

原発は、アメリカのスリーマイルより被害が大きい、レベル6に達しています。

怖いですよ。本当に。
でも、逃げるところなんてないのです。
ここで覚悟を決めて、被爆したら
それを受け入れて生きていくしかありません。

そう思うのです。

でも、支え合っていける友達がいる。
それを心から感じた一日でした。

それでね。
おかしかったことがあります。
今日、訪問したお宅の奥様方・・・
全員「すっぴん」でしたよ(笑)

クレンジングする水がもったいない。と言った人がいました。

といいますか、
たいせつな事の優先順位が
変わってしまっただけなのかもしれません。
被災して、もっと大変な方に対しての
礼儀のような感覚とも似ている気がします。

もっと大切なことがある。

それだけ。