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東日本大震災~仙台若林区から~4月11日(月)





一ヶ月経ちました。

この一ヶ月の間に、普通だったら決めなかったことを決断しました。

「お引っ越し」です。

今だから書くけど。
福島原発事故が始まった、地震2日目。
私は恐ろしくて恐ろしくて震えていました。
逃げたい。子供はどうする、どう守る?
昨年書いた記事(原発の事)の資料を見直したり
チェルノブイリの資料を見直したり
ちょっと、パニくっちゃた・・・。

情けない話です。

でもね、みんなそうだったと思う。
あちこちに密かに移住し始める人達も出てきたし
原発が落ち着くまで、実家に帰る人もいました。

原発に詳しい方からは
「逃げられる場所があるのなら逃げなさい」
と言われたこともありました。

でも、多くの人は
ご主人だけを置いて、別の場所に行く事はできない。
というごくごく当たり前の考えで、ここ(仙台)にとどまることを決意しています。
私もそうです。主人と離れるなんて考えられない!

そんな時
主人の転勤先が決まったのです。
地震が起きていなかったら
主人はここから28キロ先の勤務地まで通ったでしょう。

でも、これから余震が何年か続き
いつきてもおかしくない宮城県沖地震(30年に一回)が来たとき
家族は主人の仕事先から近い場所にいた方がいい。

1000年に一度の、今回の地震は
宮城県沖地震ではない。

そう聞いたとき、泣きたくなりました。

誰でも良いから、ウソでもいいから
今回の地震が「宮城県沖地震」だった。と言って欲しかった。

そんなわけで、
家族の決意は、方向性が決まれば
動くのみ。半日で全てを決めました。

今週の土曜日にお引っ越しします。
メゾネットタイプの素敵なアパートです。
しかもプロパンガス。ラッキーです!
地震の時、プロパンは強かった。
都市ガスがまだ復旧されていない事を聞くと
これからもプロパンがいいと感じていました。
近くに公園もありました。
長女の通う小学校も勉強にとても力を入れているようです。

引っ越し準備の最中、大きな余震がきました。
11日となんら変わりない揺れは
進んでいた町の復興を寸断。
停電。断水。町の修復を阻みました。

家の中はまたぐちゃぐちゃ。
道路の起伏が大きくなっていたり
お店の天井が落ちていたり
前より被害が大きくなっている所も。

私は食器のほとんどを処分しました。
色々な物がなくなり
本棚はひとついらなくなりました。
本当にこれから必要なものだけ残りました。

「なーんだ、これだけで生きていけるのね」

さぁ、一からやり直し。
今後、どんなものを作ろうか
新天地で考えたいと思っています。